Sayer Says in Japanese

Sunday, May 22, 2011

詩力

科学紀元11年5月22日(日)

最近ずっと漢字2文字のタイトルにしているので、詩の力をテーマにしようと考え、詩力としてみた。さきほど松島に関する俳句というか川柳を紹介したが、今度は和歌である。高校生の時に古典の時間に学んで以来、この詩が好きだ。

家にあれば けに盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

有間皇子の歌として、万葉集に載っている。彼がこの歌を詠んだ経緯は、ご自身で調べていただきたい。
この詩歌も、黙読するだけでなく、実際に声を出して詠んで見ると、そのすばらしさがますますわかる。げに、「うた」あるいは「し」は、音で伝える音声言語の最強のものではなかろうか。

斎藤成也

松島

科学紀元11年5月22日(日)

先日、岩手県の一関市で開催された公開シンポジウムに、日本学術会議の統合生物学委員会の委員の一人として参加した。15分間の講演「日本列島人の多様性」の冒頭で、松尾芭蕉に触れた。
芭蕉は奥の細道の旅で、一関を通って平泉へ行き、中尊寺金色堂を見て、一句歌った。

五月雨や 降り残してや 光堂

また、古戦場を思って一句歌った。

夏草や つわものどもが 夢のあと

その前に、松島を訪問したのではなかろうか。その時に、彼は季語もないような不思議な句をつくっている(注)。

松島や ああ松島や 松島や

3・11で松島の松は大きな被害を受けたと聞いている。それよりも、東松島市など、周辺の海岸では、津波によって多数の人命が失われた。芭蕉のこの松島の歌は、今後、亡くなられた方々、消え去ってしまった景色への鎮魂、詠嘆という意味も付け加わって、後世に詠みつがれてゆくのではなかろうか。私は3・11以降、この句を声に出して詠んで見た時、そのたびに胸にこみあげてくるものがあった。それまでは、地名を三度繰り返しただけで、芭蕉の句としては今ひとつだと思っていたのだが。

注:上記の文章を書いてから、年のためこれら3句についてウェブで検索したところ、平泉で詠んだ2句は「奥の細道」に載っているが、松島の句は、芭蕉の作ではなく、「江戸時代後期の狂歌師・田原坊の作ではないかと考えられている」(Wikipedia 松尾芭蕉 より)そうだ。

斎藤成也

Saturday, May 21, 2011

自殺

科学紀元11年5月22日(日)

4月に入って、毎日福島第一原発関連のニュースを目にしていた時に、私の研究室の学生から、私の郷里の福井県にある原発もかなり危機的状況で、関係者が自殺したらしいということを知らされた。なにも知らなかったので、さっそくインターネットを検索したら、福井新聞で今年の2月23日に報道されていた:

「もんじゅ」回収担当課長自殺  原子力機構、中継装置落下担う

日本原子力研究開発機構で、福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」の燃料環境課長(男性、57才)が、2月14日に敦賀市内の山中で遺体で発見されたとのこと。機構のホームページは、これに関するお知らせを発見することはできなかった。おそらく、自殺されたのは、以下に言及する事故の対応が長引いていることを苦にされてのことではないだろうか。お名前も公表されておらず、さびしい死去である。深く哀悼の意を表する。

「もんじゅ」はこれまでにもナトリウム漏れなど、大きな事故を頻発しているが、昨年、10年8月に核燃料を交換するための炉内中継装置が原子炉内に落下するという事故を起こした。現在でもこの装置は回収されていない。以下の毎日新聞11年4月16日付けのウェブ記事を見つけた:

トラブル続きの「もんじゅ」 福島原発事故で住民不安高まる 福井・敦賀

原子炉内で、重量3トンあまりの装置が2メートルの高さから落下し、変形したりしたために、これまで24回回収を試みたが、成功していないという。

斎藤成也

被害

科学紀元11年5月22日(日)

3・11の大震災では、東日本一帯で地震による被害があり、東北の沿岸部津波で甚大な被害を受けた。私のいる三島でも当日大きな揺れを感じたが、国立遺伝学研究所には、ほとんど被害はなかった。ところが、それからしばらくして、東京電力が計画的停電を実施したことにより、私の研究室は被害を受けてしまったのである。国立遺伝学研究所がある三島市は静岡県だが、静岡県の富士川以東は、なぜか伝統的に東京電力の営業範囲なのである。
 地震でも津波でもないが、間接的に被害を被ってしまった。計画停電そのものは、時間帯もわかっていたので、それ自体による損害ではない。皮肉なことに、停電が終わって、電気の供給が復活したとき、大きな電力を必要とする所内の冷凍庫・冷蔵庫が一斉に動き始めるため、電圧が少し下がってしまい、これによって温度を下げるための中核であるコンプレッサーに負荷がかかり、結局それが故障したのである。ただちに、−80度まで冷やすことができる冷凍庫に余裕がある別の研究室にお願いして、故障した冷凍庫の中の研究資料を移動させていただいた。またそれでは不十分なので、少し小型の冷凍庫をお借りし、現在も研究室の実験室領域以外のところに置いてある。業者に修理の見積もりをしてもらったら、60万円強とのこと。かなりの巨額であり、故障した冷凍庫はそのままになっている。
 念のため東京電力沼津営業所に電話して、この冷凍庫の故障を補償してもらえないかどうか聞いたところ、計画停電は顧客に連絡してあるので、それによる損害は補償できないとのことだった。このままでは、故障した冷凍庫は廃棄する必要が出てくるだろう。なお、所内の他のいくつかの研究室でも、冷凍庫が故障したとお聞きしている。

斎藤成也

Thursday, May 19, 2011

報道

11年5月19日(木)

インターネット、デジタルカメラ、携帯電話などなど、一連の情報革命により、世界のどこかで起こったことを、世界中に瞬時に広めることが、はるかに容易になってきた。3・11以降、日本でもそれは身にしみてわかるようになってきたと思う。私はまだほとんど見たことがないが、ツイッターの情報が地震直後に都内でも役に立ったようだ。津波の映像も、その大部分はマスメディアが撮影したものではなく、その場に居合わせた人が撮ったものだっただろう。明らかに、これまでのプロの報道の価値は下がってきている。

しかも、特に福島第一原発関連の報道に関して、TVや新聞がいろいろなことを報道してこなかったことが徐々に明らかになりつつある。政府や東電がいろいろなことを隠しているらしいが、マスメディアも似たり寄ったりではなかろうか。また、報道したとしても、その中に存在している矛盾をなにも指摘することができないという場面が多々存在していることもわかってきた。これまでもそのようなことはあっただろうが、あまりにも矛盾が多く出てきたことにより、多くの人々が、マスメディアの知的レベルがこの程度なのかと、悟りつつあるのではなかろうか。

斎藤成也

Tuesday, May 17, 2011

科学

科学紀元11年5月18日(水)

科学は未知の現象を理解しようとする営みである。既知の知識では、この世界、この宇宙を知るには不十分だからだ。したがって、科学研究の結果を応用した技術も同様である。単純な現象でも既知の法則では完全に把握できないことがある。複雑な事象であれば、なおさらのことだ。3・11以来の原子力発電所の大災害についても、同じことが言えるのではなかろうか。ウランの核分裂については、それなりの科学知識の積み重ねがあるだろうが、地球表層の動きには、まだまだ未知のことが多い。原子力発電所の格納容器や圧力容器の中も、計測装置がきちんと動いていたならいざしらず、中の様子がよくわからないのに、わかったふりをするのは、技術者として失格ではないだろうか。科学者も技術者も、わからないときにはわからないと言うべきであろう。

斎藤成也

脱出

科学紀元11年5月17日(火)

ちょうど2ヶ月ほど前の3月18日。私は心理的には行きたくないなという感情があったが、新しい情報が聞けるかもしれないと思い、日本学術会議の緊急集会「今、われわれにできることは何か?」を聞きに行った。結局混沌とした状況なのだということを再確認したにとどまった。しかし、米国とフランスの原子力関係機関が、福島第一原子力発電所の状況は、危機的な状態まで48時間しかないという推定を出したというニュースを、当日日本のマスコミではなく、韓国のマスコミが出したということを知人から教えていただいた。そこでなんとか渋る長女を説き伏せて、次女と義母も含めて、私達4名は東京を脱出した。皆で静岡県に2泊しているあいだに、あの伝説的な東京消防庁のハイパーレスキュー隊が原発に大量の水をそそぎはじめ、ようやく事態は再度の爆発という危機を脱して、今日に至っている。当時、私達の行動を笑った人もいたようだが、ここにきて地震の当日すでに核燃料がメルトダウンしていたという東京電力の発表を聞き、自分の判断は正しかったと思っている。

Sunday, May 01, 2011

誕生

科学紀元5月1日(日)

今日は、昨年亡くなった母親の、戸籍上の誕生日である。本当の誕生日はちょっと違うのだが、彼女の父、つまり私の母方の祖父が、縁起がいいということで、5月1日にしてしまったのだ。昔はこういうことがけっこう簡単にできたらしい。
 昨日、7時間かけて三島から福井に車で来た。福井の我が家から全景の見える足羽山の若葉が美しい。

斎藤成也