Sayer Says in Japanese

Monday, March 15, 2010

Houstonにて

科学紀元10年3月15日(月)

一昨日までカリフォルニア州San Diegoの北にあるLa Jolla(ラホーヤと発音する)に3日間滞在していたが、昨日テキサス州のHoustonに移動した。この街は1982年から1986年までの4年間、私が大学院生として住んでいたところである。昨年8月まで私の研究室にいた江澤潔博士と会って、改訂中の論文と投稿予定の論文についての話をするのが主要な目的だが、このなつかしい街に来るということ自体が目的でもある。宿泊しているホテルも、フリーウェイ59とKirbyの交差している近くにあり、フリーウェイを通る車の音を聞いているだけで、なんとなく懐かしくなってくるのが不思議だ。昨日は空港からレンタカーでホテルまで行ったのだが、ホテルの場所を前もってきちんと調べておらず、またカーナビのないプリウスに乗っていたために、ちょっと迷ってしまった。空港の近くをフリーウェイ(無料の高速道路)59番が通っているので、それを南下してどこかで降りればよいということはわかっていたのだが、どの出口で降りればよいのかを調べるのを忘れていたのである。また、車線の切り替えをうっかりできずに、別のフリーウェイに入り込んでしまったので、すぐ降りて普通の道をてこてこ走ったために、さらに迷ってしまった。でも、よく知っているHolcombe通りを見つけたので、あとはなんとか昔の記憶でMainを北上し、ホテルにたどりつくことができた。
 留学から25年ほどたってしまったので、ヒューストンもいろいろと変化している。4年間住んでいたアパートは、10年ほど前に家族で行った時にはまだ建っていて、子供達に見せることができたが、その後一人で行った時には、もう更地になっていた。根井研究室があったGSBSの二階建ての建物も5年ほど前には更地になり、現在はSchool of Nursingの建物となっている。
 現在は現地時間の午前7時ごろだが、今日は当時お世話になった日曜学校の英語クラスのHeard先生ご夫妻にお会いする予定だ。

Friday, March 12, 2010

インダス文明のドーラビーラ遺跡へ


科学紀元3月12日

今年の1月25日〜2月2日にインドに滞在した。その間、2月31日に、インドで一番有名なインダス文明遺跡ドーラビーラを訪問した。遺跡訪問に出発する当日の早朝に下痢をもよおしたのだが、なんとかなるだろうと参加したのである。到着まではなんとか持ったが、遺跡見学では、強い直射日光からからだを守るために頭から黒い厚手のカーディガンをかけていたこともあり、あたかも亡霊のようにインダス遺跡をさまよった。帰りはからだの弱っている私のために、特別にワゴン車の3列目を空けていただき、横になって帰路の6時間をすごした。おかげで翌日は朝食を食べることができるまでに回復した。
 写真はドーラビーラ遺跡の城郭である。ちょっとメキシコのティオティオワカン遺跡を思い出した。
 

父の死去

科学紀元10年3月12日

2ヶ月以上このブログへの書き込みが止まってしまった。大きな理由に、父、原子光生(げんしこうせい)こと斎藤光夫の死去がある。今年の1月20日に、福井市内の病院で亡くなった。満87才だった。1月上旬から、発熱、入院、危篤、死去、葬儀と連続した。また、以前から計画していたインド行きを葬儀の直後に実現してしまったので、それもあって、あわただしかった。
 3年半ほど前に、両親が同じ特別養護老人ホームに入居したので、福井の実家はそのときからぽっかり空き家になってしまった。このため、父親が逝去しても、空き家であることには変わりない。しかし、福井に来るとほとんど常に、父親を実家に連れてきていたので、もう連れてこれないなと思うと、やはりさびしい。
 1年半前に建てた書庫「懐無堂」にもよく連れてきた。居間の椅子に座っていると、「図書室」(書庫のことを父親はこう呼んでいた)に連れて行けという。書庫の中の椅子に座っているのだが、時には自分で立ち上がって書庫の中を歩き回り、本をあちこち見ていたことを思い出す。父親の残した本と雑誌が5000冊以上この書庫にある。
 母屋の二階に行きたいとも何度か言われたが、階段の傾斜が急で、足腰の弱った父親を二階に連れて行くことはとてもできなかった。
 5月8日(土)には、書庫「懐無堂」で偲ぶ会を開催する予定である。


斎藤成也