Sayer Says in Japanese

Tuesday, July 27, 2010

「ゲゲゲの女房」を見る

10年7月28日

 私はめったにNHKの連続テレビ小説を見ない。しかし、現在放映中の「ゲゲゲの女房」は、私が水木しげるファンであることも関係しているが、内容がおもしろいので、最近毎朝見ている。さきほど見終わったばかりなので、ちょっと感想を。番組の中でテレビに放映が決まった「悪魔君」は、子供時代から親しんできた作品である。テレビアニメや雑誌で最初知ったのだが、貸本時代のオリジナル悪魔君が、当時刊行された日本漫画全集に載っていた。漫画好きの父親が全巻を購入したのである。雑誌版に親しんでいた私としては、最初違和感があった。たとえば、雑誌版で登場する「悪魔」は、オリジナル版ではやもりびとであり、オリジナル版の悪魔は、もっとぞっとする存在だった。悪魔君が魔法の修行をしにいった軽井沢は、単に大金持ちの父親の別荘だからなのだろうが、オリジナル版の悪魔君には、世界の魔法使いは最終的には軽井沢にきて修行を完成させたとあった。軽井沢がどのような歴史を持っているのか知らなかった当時の私は、これがあたかも本当のことであるような錯覚を持ったことをよくおぼえている。

「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」という言葉は、父親が酒を飲むと時々口にしていた言葉である。オリジナル版の悪魔君の末尾に掲げられている言葉だ。最近まで、これは水木しげる氏の創作した言葉だとばかり思っていたが、この心に強くひびくことば、ひょっとしたらもっと長い歴史があるのではと、ネット検索してみたら、欧州の魔法の本に載っているとのこと。ただ、この言葉を「悪魔君」に使った水木しげる氏のセンスはすばらしいと思う。ちなみに、私の父親は水木しげる氏と同じ年齢である。父親は今年の1月に逝去したが、水木氏はお元気のようで、長年のファンとしては、うれしい限りだ。

悪魔君といえば、十年ほど前になるが、東京のどこかの市役所で、子供に「悪魔」という名前を付けようとした人の届け出を却下したという話を覚えている。これは役人の横暴ではないか。「悪魔」って、かわいい名前だと思う。このセンスがわからない人に、勝手に却下されたくない。私など、もし男の子が生まれたら漢字5文字のある名前にしたいなと思っていたが、これは人間の名前にはまず付けないものである。「悪魔」君のほうが人間にずっと近い感覚だ。もしこの漢字5文字の名前を子供の名前として届けようとしたら、即刻却下されるかもしれない。私の子は残念ながら娘だけなので、この名前は使われていない。

Saturday, July 24, 2010

梅棹忠夫氏逝去

10年7月26日(日)

7月上旬、フランスのリヨンで分子進化学の国際会議に出席中にチェックしていた日本のニュースで、梅棹忠夫氏が亡くなられたことを知った。90才だったので、今年の1月に死去したJ. D. Salinger氏と同年である。昨年からメディカルバイオ誌に連載しているコラム"Sayer Says!"の3月号に、「師との関係」と題した内容を発表したが、「謦咳に接する」という部分で、梅棹さんのことに触れた。以下にその部分を引用する。

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 私は若いときから、民族学・人類学の巨人、梅棹忠夫さんとそのグループである近衛ロンドに興味を持ち続けてきた。彼や近衛ロンドグループの人々の著作の多くを読み、その活動の広さには尊敬の意を払ってきた。数年前に国立民族学博物館にうかがって、梅棹さんにインタビューをさせていただいたことがある。すでに自伝[6]を一度読んでいたが、インタビューに備えてもう一度読み返した。やはりおもしろかった。自伝のタイトルからして奇抜である。知り合いの一部には批判するむきもあったらしいが、自身の人生を客観的に眺めた結果としての題名であろう。
 インタビューにおいて私のもった最大の疑問点のひとつは、京都大学理学部動物学を卒業した梅棹さんが、どの時点から民族学や人類学に興味の中心を移行していったのかだった。この質問に対して彼は、「そうだなあ、張家口(中国河北省北西に位置する市)で遊牧を調べていたころかなあ」と答えてくれた。理科系から文科系に専門分野を転じることを「文転」と呼ぶが、梅棹氏はある意味で偉大な文転者である。人間に興味の中心を持つ医学分野でも文転する人々がいる。作家で言えば、最後まで医者であり続けたが、森鴎外がそうだろう。

[6] 梅棹忠夫『行為と妄想』中公文庫(2002)
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先日帰省した時に、わが書庫「懐無堂」に置いてある梅棹さんの単著・編著の本を数えたら、40冊ほどあった。彼は目を患われたあとに精力的に出版を開始し、一時は「月刊梅棹」という言い方もあったらしいので、私が持っているのは彼の著作の一部にすぎないが、それでもけっこう読んだのである。若い時に読んだ「東南アジア紀行」には、現地に現地に関係する書物を持っていって、移動中の車内でそれらの書を読破していったという記述がある。これはいいなと思い、実行に移している。1990年に初めて北京を訪れたときには、なかなか旅行許可がおりないのでホテルに待機しているあいだに、『紫禁城の黄昏』(ジョンストン著)を読んだ。もちろん紫禁城自体も訪問したが。昨年2月に1週間ほど滞在したインダス文明のファルマーナー遺跡では、夜寝る前に『ムガール帝国誌』(ベルニエ著)をざざ〜と読んだ。今ではあたりまえになったが、『知的生産の技術』に影響されて、自分の下宿でも段ボール製のファイルキャビネットを買い、ファイルの整理に使った。このように、梅棹さんには若いときからずいぶんと影響を受けたものだ。20世紀日本の知の巨人が、またひとり逝ってしまった。合掌。

電動アシスト自転車での通勤

10年7月26日(日)

 今年の4月はじめに、意を決して電動アシスト自転車を購入した。パワーの強いリチウム電池を積んだタイプを選んだので、けっこう値段が張ったが、それだけの価値があるものだった。もっともうれしかったのは、ミニスーパーマンの気分を味わえることだ。私が勤務している国立遺伝学研究所は、箱根への長い斜面のところに建っており、行き着くのに坂を登る必要がある。これまで通常の自転車通勤でよく使っていた坂道はとても勾配が大きく、いつも自転車から降りて登っていた。ところが電動アシスト自転車だと、なんとかこいで降りずに上がれるのである。これはとても気分がよい。
 通常の自転車での通勤は、もうひとつの問題点があった。汗をかくことだ。それ自体はいいことだが、研究室についてしばらくしたら、汗が出てきてたまらないのである。ところが電動アシスト自転車だと、あまり力がいらないので、夏でも汗をかかない。ようするにあまり運動にはならず、家人からもなぜそんな高価なものを買うのかと批判された理由のひとつだが、これは比較の対象が間違っている。自動車通勤と比べたら、明らかに運動量が多いからだ。実際、私の体重は電動アシスト自転車通勤を始めてから、若干だが下がりつつある。
 世の中、電動自動車がブームだが、ちょっと待て、電動アシスト自転車でかなりの移動がカバーできるのですよ。昨日のニュースでは、フランスに続いて英国でもロンドン市内で自転車5000台を市民や観光客に使ってもらう試みがはじまったようだが、日本ではあまりそのようなことは聞かない。ひとつには日本の都市は坂が多いからではなかろうか。となれば、通常の自転車だけではなく、この電動アシスト自転車を東京などの大都会に数千台、ずらりと導入するといいのではと思うのである。

斎藤成也