Sayer Says in Japanese

Wednesday, August 31, 2011

原発銀座県の出身者として


11年8月31日

今年のゴールデンウィークは、福井市に帰省しました。車で東名、名神そして米原から北陸自動車道に入ったのですが、途中、敦賀の付近にある杉津PAで休憩した時にとった写真が上のものです。敦賀半島に、不気味に浮かぶ白い建物は、原子力発電所です。地図情報からすると、おそらく日本原子力発電のものでしょう。小学6年生の時に、遠足で敦賀の原子力発電所に見学にいったことがあります。この発電所だったかどうかはわかりませんが、当時は最新の科学技術の粋を集めたものとして、子供の僕は素直に感動していました。
 高校生になったら、なんか変だなと思うようになりました。原子力が、宣伝されるほど安全なら、なぜ大都市のそばに建設しないのだろうと思いました。東京湾に「安全な」原発を建ててもいいのではと思いました。
 当時は、敦賀から若狭湾に建てられた原発は、越前の人間にとっては別の世界でした。しかし、この敦賀の原発は、福井市から50kmほどしか離れていません。決して遠い存在ではないのです。原発は、危険です。これは福島原発の大事件により、否定できない事実となりました。

斎藤成也

Tuesday, August 30, 2011

歴史的円高に思う

11年8月30日(火)

円高である。僕らが子供のころには、1ドルは360円に固定されていた。それが、たしかニクソンショックで変動制に移行した。でも子供にはピンとこない。為替レートが切実な問題になったのは、留学の前後だった。1982年8月に米国に留学した当時、1ドルは280円だった。4年後の1986年に帰国した時には、1ドル140円、ちょうど倍だった。なにか、突然日本がゆたかになった感じだった。今は影がうすくなったテレホンカードが留学中に導入され、帰国してさっそく使ってみて、かっこいいなと思ったことをおぼえている。
 円高はだめだだめだと言われることが多いが、これは自動的に日本の富が相対的に増加したのである。特に海外に行くときはそう感じることができるだろう。1994年にも、1ドル78円くらいの、当時としては歴史的な円高となった。僕は、こんな円高はそうひんぱんにはならないだろうと予測し、その年の11月に出張で英国を訪れた時に、いろいろ買い込んでしまった。ダーウィンと縁の深いウェッジウッドの食器も、ロンドンピカデリーサーカスの本店でかなり買った。こちらが頼みもしないのに、"You are good customer"とのことで、むこうが勝手に値引きをしてくれたっけ。いずれにしても、僕の感覚は正しかった。あれから17年たって、ようやくあの当時の円高を越えたのだから。とはいえ、経済学って、いまだによく理解できない。

斎藤成也

Sunday, August 28, 2011

秋のけはい

11年8月29日(月)

今朝通勤途中で、ふわっと金木犀の香りが薫った。まだまだ暑いが、もう秋である。研究室の外の木々から聞こえてくる蝉の声も、こころなしか弱くなってきている。ちなみに、私の部屋のデジタル温度計は、現在28.9度だが、冷房は朝からずっとつけていない。正面のまどからかすかに風が入ってくるので、十分これですずしいのである。私は自分のオフィスの室温が30度を超えたら、ようやく冷房をつけることにしている。28度ですら、少しはだ寒いと感じることがある。そうこうするうちに、29.0度となった。正午近いので、日差しが強くなったせいだろう。でも、まだまだ快適です。