Sayer Says in Japanese

Saturday, October 23, 2010

ふたつの偲ぶ会

10年10月24日(日)

母親、斎藤知子を偲ぶ会を10月16日(土)に、福井の家の書庫、懐無堂で開催しました。思いがけず60名あまりの方々に来ていただき、20名ほどの方は最後までスライドショーなどを見ていただけました。また10人以上の方からは母や父の思い出を語っていただくことができました。特に、母親と福井女学校の同級生だった小児科医の笠原智寿子先生は、パソコン画面に映った母親の写真にむかって、何度も「ともちゃん」と語りかけていただき、70年以上にわたる交流を偲んでいただきました。私も小さいときから病気になると母親に連れられて笠原先生に見ていただきましたし、娘達が福井に滞在中に病気になると、やはり笠原先生に診察していただいたものです。

10月20日(水)には、国立民族学博物館で開催された梅棹忠夫先生をしのぶ会に参加しました。18年前の館長退官記念講演や、博物館設立10周年記念講演などをみました。母親を偲ぶ会では少しも泣かなかったのですが、講演を聴いていて、やはり梅棹先生もニヒリストだったんだなあと思い、母親も実際には無宗教であり、虚無主義だったんだなあと思うと、なんとなくじいんとしてきました。両親とも虚無主義であれば、当然子供にもその世界観は伝わったことになります。

斎藤成也

Sunday, October 03, 2010

母親の死

科学紀元10年10月4日(月)

先月、9月17日の夕刻、母、斎藤知子が死去した。85才だった。昨年の春に、京都の東山老人サナトリウムに入り、療養していた。ちょうど3日前の9月14日から、京都大学で開催されていた国際霊長類学会に出席していたので、毎日母親を見舞うことができたのは、幸いだった。5年ほど前に、夫婦そろって福井市内の「こもれびホーム」という特別養護老人ホームに入居したが、寝たきりだった母親の症状が悪化したため、京都に在住している妹夫婦の家にほどちかいサナトリウムに移ったのである。妹はほぼ毎日母親を見舞っていた。歩いたり話したりして、母親よりもずっと元気だった父親、原子光生こと斎藤光夫のほうがさきに今年の1月20日に福井市内の病院で死去した。今年になって両親とも失ってしまった。以下は、母親を偲ぶ会の案内である。

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10年9月29日

 

 拝啓、暑さ寒さも彼岸までの言葉どおり、猛暑もすっかり影をひそめました今日この頃ですが、いかがおすごしでしょうか。母、斎藤知子は、昨年春に福井の特別養護老人ホームから、妹、佐々木日嘉里夫妻の住居にほど近い京都東山老人サナトリウムに移り、療養しておりましたが、今月の17日に逝去いたしました。今年の1月20日に、父親斎藤光夫こと原子光生も肺炎のため福井で逝去しました。あとを追うようにというわけではなかったと思いますが、1年のあいだに二人の親があいついで亡くなりました。両親の生前、いろいろとご厚情を賜り、まことにありがとうございます。

 母親が生まれた時からずっと住んでいた福井で葬儀をしてあげたかったのですが、諸事情により、すでに葬儀は京都にて親族のみで済ませました。そこで、偲ぶ会を次のように福井の自宅で開催することといたしました。特に御連絡をいただく必要はありません。もし可能でしたら、来ていただければ幸いです。



斎藤知子を偲ぶ会

日時:10年10月16日(土)午後1時半〜午後3時半

場所:福井県福井市月見4丁目21−39 斎藤方(時雨窯)

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斎藤成也