ふたつの偲ぶ会
10年10月24日(日)
母親、斎藤知子を偲ぶ会を10月16日(土)に、福井の家の書庫、懐無堂で開催しました。思いがけず60名あまりの方々に来ていただき、20名ほどの方は最後までスライドショーなどを見ていただけました。また10人以上の方からは母や父の思い出を語っていただくことができました。特に、母親と福井女学校の同級生だった小児科医の笠原智寿子先生は、パソコン画面に映った母親の写真にむかって、何度も「ともちゃん」と語りかけていただき、70年以上にわたる交流を偲んでいただきました。私も小さいときから病気になると母親に連れられて笠原先生に見ていただきましたし、娘達が福井に滞在中に病気になると、やはり笠原先生に診察していただいたものです。
10月20日(水)には、国立民族学博物館で開催された梅棹忠夫先生をしのぶ会に参加しました。18年前の館長退官記念講演や、博物館設立10周年記念講演などをみました。母親を偲ぶ会では少しも泣かなかったのですが、講演を聴いていて、やはり梅棹先生もニヒリストだったんだなあと思い、母親も実際には無宗教であり、虚無主義だったんだなあと思うと、なんとなくじいんとしてきました。両親とも虚無主義であれば、当然子供にもその世界観は伝わったことになります。
斎藤成也
母親、斎藤知子を偲ぶ会を10月16日(土)に、福井の家の書庫、懐無堂で開催しました。思いがけず60名あまりの方々に来ていただき、20名ほどの方は最後までスライドショーなどを見ていただけました。また10人以上の方からは母や父の思い出を語っていただくことができました。特に、母親と福井女学校の同級生だった小児科医の笠原智寿子先生は、パソコン画面に映った母親の写真にむかって、何度も「ともちゃん」と語りかけていただき、70年以上にわたる交流を偲んでいただきました。私も小さいときから病気になると母親に連れられて笠原先生に見ていただきましたし、娘達が福井に滞在中に病気になると、やはり笠原先生に診察していただいたものです。
10月20日(水)には、国立民族学博物館で開催された梅棹忠夫先生をしのぶ会に参加しました。18年前の館長退官記念講演や、博物館設立10周年記念講演などをみました。母親を偲ぶ会では少しも泣かなかったのですが、講演を聴いていて、やはり梅棹先生もニヒリストだったんだなあと思い、母親も実際には無宗教であり、虚無主義だったんだなあと思うと、なんとなくじいんとしてきました。両親とも虚無主義であれば、当然子供にもその世界観は伝わったことになります。
斎藤成也