Sayer Says in Japanese

Sunday, May 17, 2009

2002年当時書いた文章ですが

科学紀元9年5月17日(日)

たまたま,ある催しが2001年だったのか,2002年だったのかをウェブで調べていたら,2002年当時僕が書いた文章をサイバー空間上で発見しました。ちょっと昔の自分に会ったみたいでうれしかったので,再掲します。

引用元のページ

 サン・テジュグペリの「星の王子様」の中に、「大人は昔はみんな子供だったんだよ」という一節があります。それを読んだ中学生のころ、まわりの大人の姿を見て、なんとなく納得がゆきました。今ではひとりの大人として、まったくそのとおりだなと思います。僕の中には、幼い時の自分も、小学生、中学生、そして高校生の自分も、共存しています。というか、そのときそのときの成長過程で感じたこと、思いついたことが、深い記憶として、ずっとそのままに自分のなかに根付いているのです。たとえば、高校生のときに考えついたいろいろなアイデアは、今でも暖めています。そのひとつが、「太平洋上に浮かぶ浮遊都市」です。都市といっても、小さな浮島の集まりを考えています。ドラゴンボールZを読んだことのある人なら、「かめハウス」を思いだして下さい。あんな感じです。いずれは浮島に住んで見たいなと思っています。
 敬愛する大島弓子さんの作品に「毎日が夏休み」というタイトルのものがありますが、今の私の状況に近いものがあります。自分のやりたいことを、自分のスケジュールでやらせてもらっているので、仕事をしているという感覚はありません。研究は、いい意味での遊びなのです。ここでも、子供の時からのいろいろな物事に対する驚きの感覚、Sense of Wonder が生き続けています。詰まるところ、自分を含めてこの世の存在そのものが「神秘」なのですから。
 私は「趣味は?」と聞かれると「生きることが趣味です」と答えることにしています。でも、ごく普通の意味での趣味といえば、絵を描くことでしょうか。小学校の高学年から始まって、一貫して点描画を描いています。パリのオルセー美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、シカゴ美術館、東京の近代美術館、宮崎県立美術館を訪れた時、すばらしい点描画をみるとうっとりします。もっとも、自分の絵をみてもうっとりしますが。

Saturday, May 16, 2009

ウェッジ5月号に2頁書きました

科学紀元9年5月17日(日)

そういえば,もう1ヶ月ほど前のことになってしまいますが,月刊誌ウェッジの5月号の連載物,フォーラム新・地球学の世紀に「宗教とは」という小文を書きました。時々,知り合いの人から反響を聞きます。硬い雑誌のはずなのに,なぜかほがらかに笑っている写真に引きつけられて読み始めたら,知り合いの人だった。この人と最初にあったのは,たしかマドリードでした。また,ある会合に行ったら,先に来ていた人たちがテーブルの上にある雑誌のあるページを開いて談笑していました。なにを見ているのかと思ったら,ウェッジのこのページでした。う〜ん,ちょっと恥ずかしかったです。なお,6月号のこの欄は,佐々木閑さんが書いています。

 この小文の後半で触れたサグラダ・ファミリアには,なんと4回も訪れたことがあるのですが,バルセロナにはもっとたくさん訪問しています。だから,バルセロナの街を舞台にした『風の影』(集英社文庫;上巻と下巻)を,ついつい,いろいろな原稿書きに追われているにもかかわらず,読み終えてしまいました。素敵な物語です。バルセロナに行った事のある人には特にお勧めします。ランブラス通りはもちろん出てきます。あの街に行ったことのない人でも楽しめます。
 下巻の中,218頁で,<Pに捧げる>という箇所に出くわした時には,どきっとしてしまいました。作品中の重要人物の一人の頭文字なのだけれど,僕は若いとき,アルファベットの26文字で一番好きな発音が,このPだったので,Pにはいろいろな思い出があるのです。そんなこんなで,大島弓子さんの作品「花! 花! ピーピー草…花!」も,タイトルに「ピー」が2回も出てくることだけで,いい気分になりました。

Thursday, May 14, 2009

佐々木閑氏の『日々是修行』(ちくま新書)が刊行されました

科学紀元9年5月14日(木)

 高校時代以来の畏友,佐々木閑さんが朝日新聞夕刊に毎週2年間発表していたコラム「日々是修行」の内容を中心としたちくま新書を刊行しました。とてもおもしろく,しかもためになる内容がぎっしり詰まっているので,興味のある方は是非お読み下さい。
 第32話に登場する脳科学者,藤田一郎さんは,私と大学学部時代,彼は動物学コース,私は人類学コースだったが,同じ生物学科の同級生として,いろいろと行き来があった。生物学科が理学部2号館という建物にあったので,僕は学生のあいだの回覧雑誌をたちあげたとき,"Journal of Second House"という名前にしました。Second Houseは二号館の直訳ですが,同時に「別荘」という意味もあるので,研究ばかりしないで息抜きもしようという意味を込めました。さらに,この雑誌名の略称 J. S. H.には,ひそかに Japanese Stimulating Hormone(日本人刺激ホルモン)という意味も込めました。僕はこのように,ひとつの名称にいろいろな意味を重ねることが好きなのです。で,藤田一郎さんはこの回覧誌に書き込む常連のひとりでした。宮澤賢治を子供のころから好きだった僕ですが,彼がJSHに書き記した『春と修羅』の序ははじめて知った文章でした。圧倒されました。
 第37話に登場する伊藤昭三先生は,我々の高校3年時の担任でした。佐々木閑さんが釈迦に対比して書いている伊藤先生の人物像を知った人は,ある意味で先生は妙好人だったのではないかと思うのかもしれません。
 第50話に登場するスロウボートというバーには,佐々木閑さんに連れて行ってもらってすっかり気に入ってしまい,京都に行くとだいたい寄ることにしています。この話に登場する木村泰賢さんという仏教学者のことを知らなかったので,さきほどグーグル検索したら,トップに 「無我と輪廻」の矛盾にかんする木村泰賢博士の解釈 というページがヒットしました。とても長い文章なので,いずれ読むことにします。とにかく,インターネットさまさまです。
 第81話には,私自身も登場します。私の父親も。
 

5月16日(土)に大学院説明会が三島であります

科学紀元9年5月14日(木)

私が兼任している総合研究大学院大学,生命科学研究科,遺伝学専攻の大学院説明会が今度の土曜日に,三島の国立遺伝学研究所で開催されます。
くわしくは このページをご覧下さい。私も自分の研究室の紹介をします。
 現在,私の研究室には,ポストドク3名(うちひとりはロシア人),博士後期課程大学院生が4名(うちひとりはマレーシア人),博士前期課程大学院生が1名在籍しています。それぞれの人が独自のテーマを持って研究を進めています。

斎藤成也

特殊だった日本の地質学の戦後史を知りました

科学紀元9年5月14日(木)

昨日,『プレートテクトニクスの拒絶と受容』(泊次郎著,東京大学出版会,2008年)を買って,歴史的な論争のところを中心に目を通しました。たしか学部学生時代(1970年代後半)に,理学部の地質かどこかの知り合いの学生が,日本ではプレートテクトニクス理論の普及が遅れているといってこぼしていたことを,なんとなく思い出します。生物学畑の人間にとっては,地質学と地球物理学はほとんど同じような分野に見えてしまっていたので,高校卒業時に見た映画「日本沈没」に登場した竹内均さん(当時東大理学部教授)がおそらくプレートテクトニクス理論を説明していたから,もちろん日本の地質学(実際には地球物理学だけだったようだ)全体で受け入れられていたとばかり思っていた。
 地団研というグループについても,なんにも知らなかった。もっとも,その中心人物だったという井尻正二さんの著書は何冊か買って読んだ記憶がある。岩波新書の『化石』など。彼の晩年には,たしか築地書館から何冊か人類学とも関係のある,一般向けの本が出ていて,それも買った記憶がある。
 でも,だからだろうか。数年前に,地球の歴史に関するある翻訳書『さまよえる大陸と海の系譜』について,知り合いの古生物学研究者に評価を求めたら,なぜか逃げられてしまった。築地書館が井尻正二さんを通して地団研と深く関わり合っていたからだろうか。
 生物学にもルイセンコ論争があり,日本の研究者のなかにも,この誤った説に心酔した人が一時いたらしいが,地質学でも,日本独自の誤った説が登場して一時期の学界を支配していたとは,いまさらながら,びっくり。

Friday, May 01, 2009

中堀豊先生 逝去

科学紀元9年5月1日(金)

徳島大学医学部の中堀豊教授が数日前に逝去された。まだ50歳代前半だった。新聞によれば,前立腺癌とのことである。2005年に岩波書店から「Y染色体から見た日本人」を出版された。私も同じ年に「DNAから見た日本人」を筑摩新書から出版した。同じ年の出版だったので,引用することができなかった。3年ほど前の人類遺伝学会でお会いしたのがお会いした最後だったが,そのときにご自身の本への反響を楽しそうに語っておられたのが印象に残っている。まだまだ研究したいことがいろいろあっただろう。無念だろうと思う。合掌。

斎藤成也