2002年当時書いた文章ですが
科学紀元9年5月17日(日)
たまたま,ある催しが2001年だったのか,2002年だったのかをウェブで調べていたら,2002年当時僕が書いた文章をサイバー空間上で発見しました。ちょっと昔の自分に会ったみたいでうれしかったので,再掲します。
引用元のページ
サン・テジュグペリの「星の王子様」の中に、「大人は昔はみんな子供だったんだよ」という一節があります。それを読んだ中学生のころ、まわりの大人の姿を見て、なんとなく納得がゆきました。今ではひとりの大人として、まったくそのとおりだなと思います。僕の中には、幼い時の自分も、小学生、中学生、そして高校生の自分も、共存しています。というか、そのときそのときの成長過程で感じたこと、思いついたことが、深い記憶として、ずっとそのままに自分のなかに根付いているのです。たとえば、高校生のときに考えついたいろいろなアイデアは、今でも暖めています。そのひとつが、「太平洋上に浮かぶ浮遊都市」です。都市といっても、小さな浮島の集まりを考えています。ドラゴンボールZを読んだことのある人なら、「かめハウス」を思いだして下さい。あんな感じです。いずれは浮島に住んで見たいなと思っています。
敬愛する大島弓子さんの作品に「毎日が夏休み」というタイトルのものがありますが、今の私の状況に近いものがあります。自分のやりたいことを、自分のスケジュールでやらせてもらっているので、仕事をしているという感覚はありません。研究は、いい意味での遊びなのです。ここでも、子供の時からのいろいろな物事に対する驚きの感覚、Sense of Wonder が生き続けています。詰まるところ、自分を含めてこの世の存在そのものが「神秘」なのですから。
私は「趣味は?」と聞かれると「生きることが趣味です」と答えることにしています。でも、ごく普通の意味での趣味といえば、絵を描くことでしょうか。小学校の高学年から始まって、一貫して点描画を描いています。パリのオルセー美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、シカゴ美術館、東京の近代美術館、宮崎県立美術館を訪れた時、すばらしい点描画をみるとうっとりします。もっとも、自分の絵をみてもうっとりしますが。
たまたま,ある催しが2001年だったのか,2002年だったのかをウェブで調べていたら,2002年当時僕が書いた文章をサイバー空間上で発見しました。ちょっと昔の自分に会ったみたいでうれしかったので,再掲します。
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サン・テジュグペリの「星の王子様」の中に、「大人は昔はみんな子供だったんだよ」という一節があります。それを読んだ中学生のころ、まわりの大人の姿を見て、なんとなく納得がゆきました。今ではひとりの大人として、まったくそのとおりだなと思います。僕の中には、幼い時の自分も、小学生、中学生、そして高校生の自分も、共存しています。というか、そのときそのときの成長過程で感じたこと、思いついたことが、深い記憶として、ずっとそのままに自分のなかに根付いているのです。たとえば、高校生のときに考えついたいろいろなアイデアは、今でも暖めています。そのひとつが、「太平洋上に浮かぶ浮遊都市」です。都市といっても、小さな浮島の集まりを考えています。ドラゴンボールZを読んだことのある人なら、「かめハウス」を思いだして下さい。あんな感じです。いずれは浮島に住んで見たいなと思っています。
敬愛する大島弓子さんの作品に「毎日が夏休み」というタイトルのものがありますが、今の私の状況に近いものがあります。自分のやりたいことを、自分のスケジュールでやらせてもらっているので、仕事をしているという感覚はありません。研究は、いい意味での遊びなのです。ここでも、子供の時からのいろいろな物事に対する驚きの感覚、Sense of Wonder が生き続けています。詰まるところ、自分を含めてこの世の存在そのものが「神秘」なのですから。
私は「趣味は?」と聞かれると「生きることが趣味です」と答えることにしています。でも、ごく普通の意味での趣味といえば、絵を描くことでしょうか。小学校の高学年から始まって、一貫して点描画を描いています。パリのオルセー美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、シカゴ美術館、東京の近代美術館、宮崎県立美術館を訪れた時、すばらしい点描画をみるとうっとりします。もっとも、自分の絵をみてもうっとりしますが。