Sayer Says in Japanese

Thursday, July 14, 2011

北京三五年(岩波新書、1980)

科学紀元11年7月14日

SMBE京都大会の準備で忙しいのですが、ついつい本を読んでしまいます。今読んでいるのは、20年以上前に買い求めて読んだ、山本市朗著『北京三五年(上)』(岩波新書、1980)。1987年の2月16日に購入したというスタンプが押してあります。その年の12月には中国にはじめて行きましたから、おそらく中国事情がわかるだろうと思って買い求めたのでしょう。当時、以下の記述のところに来たら、涙が出て止まりませんでした。
 以下は、本書176ページからの引用です。
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 自分では、ずいぶん程度を落としたつもりでいたが、彼らにとっては、講義の内容がまだ難解であったらしかった。そのある日、生徒の一人である副廠長が私をたずねてきて、非常に率直に意見を述べた。
 「私たちの文化程度は、あなたが考えているより、はるかにはるかに低いのです。
 私自身について言えば、今までずっと辺鄙な解放区で農村工作ばかりしていて、北京へ入ってくるまで、汽車というものを一遍も見たことがありませんでした。北京平和開城の数週間前、私たちの部隊は、北京へ進軍の命令を受けて徒歩で行軍してくる途中、ある真っ暗な夜中に、津浦線の線路を横断しました。「あっ、これが汽車の鉄道だ。さわってみろ」と言われて、私たちはみんなで、その暗闇の中を、汽車のレールを手で撫でまわしました。さわってみてはじめて、汽車の通る道は、こういうふうに鉄で作ってあって、地面の上にとび出ているものだということを知りました。
 私たちの知識や物の理解の程度は、この程度ですから、これからも、なるべくやさしく、わかるように説明してくださるようにお願いいたします。」
 私は、その真剣さに打たれて、しばらくシュンとして声も出なかった。
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その時には、私はなぜ自分がこんなに涙するのか、よくわかりませんでした。感動したことは確かなのですが、では自分がどの部分に感動したのかが、論理的によくわからなかったのです。自分の心がわからないなんて変だと思われるかもしれませんが、私はよくこういうことがあります。意識の世界よりも無意識の世界のほうがずっと大きいのだから、自分の意識だけでは、無意識を含めた自分を理解するのは簡単ではないのだと思っています。

今年、3・11に関連したあるニュース記事がきっかけで、25年近く前になぜ自分が涙したのかがわかりました。今でも、この部分にさしかかったら、やはりじいんと来ました。
理由はまた後日。キーワードは、文明です。

斎藤成也