四半世紀ぶりに読んでいる本
科学紀元9年1月1日
新年になったようだが、僕は大晦日、つまり昨日から25年以上ぶりにある本を読み出している。それは、昨年福井に建てた書庫「懐無堂」所蔵の『東アジアの中の邪馬台国』(芙蓉書房、西暦1978年刊行)。著者は敬愛する白崎昭一郎先生である。学生時代にいただいて読んだのだが、最近ふたたび邪馬台国に興味を持ち、帰省した時に読み始めたのである。
きっかけはある新聞社の、考古学や人類学に強い記者の方のお話を聞いたからである。最近の人類学でおもしろい話を聞きたいと、私の研究室にしばらく前に来られたのだが、私のほうがいろいろお聞きしてしまった。私はけっこう聞き上手なのです!いろいろお話を聞いたが、特に興味深かったのは、三嶋大社はなぜあそこにあるのかという問題(私にとってずっと謎だった)と、邪馬台国が機内にあるということだ。前者はまた別の時に書こうと思うので、今回は邪馬台国のことに触れよう。
僕は高校生のころから邪馬台国問題に興味を持っていた。もともと古事記が好きだったし、考古学ボーイというわけではないが、考古学全般に好きだったからだ。学生時代に白崎先生のお宅に出入りするようになって、何冊かのご著書をいただいて読んだ。最初の1冊、『埋もれた王国』(大和書房、西暦1977年刊行)はとても興味深く読み進んだものだ。それに対して、邪馬台国九州説シンパだった僕にとって、畿内説をとる白崎先生の『東アジアの中の邪馬台国』は、詳細な論証をされているにもかからわらず、当時今ひとつ納得がいかなかった。
それから四半世紀が過ぎて、研究が進展した。つい数年前までは九州説も命運を保っていたようだが、年輪年代学の成果と炭素14法によって、どちらも箸墓古墳が卑弥呼の年代と重なるのですよと、上記の渡辺さんに言われたので、う〜んとうなってしまった。年輪年代学のほうは知っていたが、炭素14法の結果は知らなかった。年代は重要である。もうひとつ、そういえば炭素14法研究の進展により、弥生時代の開始が500年ほどさかのぼって3000年ほど前ということになった。
僕は高校生ぐらいのころから、なんとなく弥生時代の長さが短すぎるのではと感じていた。3000年前からはじまったとなると、1200年以上経過することになり、稲作が導入されるとともに大陸の政治システムが導入され、小さな国から大きな国にゆっくりと統合されてゆき、大和朝廷によって本州北部を除く本土4島が統一されるのに十分な時間があることになる。ということは、西暦3世紀中頃には、邪馬台国が大和の国にあってもいいことになるではないか。
30年以上にわたって九州説シンパだった私だが、がぜん畿内説に傾いてしまった。そこで、帰省してひもといた本が『東アジアの中の邪馬台国』なのである。
斎藤成也
新年になったようだが、僕は大晦日、つまり昨日から25年以上ぶりにある本を読み出している。それは、昨年福井に建てた書庫「懐無堂」所蔵の『東アジアの中の邪馬台国』(芙蓉書房、西暦1978年刊行)。著者は敬愛する白崎昭一郎先生である。学生時代にいただいて読んだのだが、最近ふたたび邪馬台国に興味を持ち、帰省した時に読み始めたのである。
きっかけはある新聞社の、考古学や人類学に強い記者の方のお話を聞いたからである。最近の人類学でおもしろい話を聞きたいと、私の研究室にしばらく前に来られたのだが、私のほうがいろいろお聞きしてしまった。私はけっこう聞き上手なのです!いろいろお話を聞いたが、特に興味深かったのは、三嶋大社はなぜあそこにあるのかという問題(私にとってずっと謎だった)と、邪馬台国が機内にあるということだ。前者はまた別の時に書こうと思うので、今回は邪馬台国のことに触れよう。
僕は高校生のころから邪馬台国問題に興味を持っていた。もともと古事記が好きだったし、考古学ボーイというわけではないが、考古学全般に好きだったからだ。学生時代に白崎先生のお宅に出入りするようになって、何冊かのご著書をいただいて読んだ。最初の1冊、『埋もれた王国』(大和書房、西暦1977年刊行)はとても興味深く読み進んだものだ。それに対して、邪馬台国九州説シンパだった僕にとって、畿内説をとる白崎先生の『東アジアの中の邪馬台国』は、詳細な論証をされているにもかからわらず、当時今ひとつ納得がいかなかった。
それから四半世紀が過ぎて、研究が進展した。つい数年前までは九州説も命運を保っていたようだが、年輪年代学の成果と炭素14法によって、どちらも箸墓古墳が卑弥呼の年代と重なるのですよと、上記の渡辺さんに言われたので、う〜んとうなってしまった。年輪年代学のほうは知っていたが、炭素14法の結果は知らなかった。年代は重要である。もうひとつ、そういえば炭素14法研究の進展により、弥生時代の開始が500年ほどさかのぼって3000年ほど前ということになった。
僕は高校生ぐらいのころから、なんとなく弥生時代の長さが短すぎるのではと感じていた。3000年前からはじまったとなると、1200年以上経過することになり、稲作が導入されるとともに大陸の政治システムが導入され、小さな国から大きな国にゆっくりと統合されてゆき、大和朝廷によって本州北部を除く本土4島が統一されるのに十分な時間があることになる。ということは、西暦3世紀中頃には、邪馬台国が大和の国にあってもいいことになるではないか。
30年以上にわたって九州説シンパだった私だが、がぜん畿内説に傾いてしまった。そこで、帰省してひもといた本が『東アジアの中の邪馬台国』なのである。
斎藤成也