Sayer Says in Japanese

Wednesday, December 31, 2008

四半世紀ぶりに読んでいる本

科学紀元9年1月1日

 新年になったようだが、僕は大晦日、つまり昨日から25年以上ぶりにある本を読み出している。それは、昨年福井に建てた書庫「懐無堂」所蔵の『東アジアの中の邪馬台国』(芙蓉書房、西暦1978年刊行)。著者は敬愛する白崎昭一郎先生である。学生時代にいただいて読んだのだが、最近ふたたび邪馬台国に興味を持ち、帰省した時に読み始めたのである。
 きっかけはある新聞社の、考古学や人類学に強い記者の方のお話を聞いたからである。最近の人類学でおもしろい話を聞きたいと、私の研究室にしばらく前に来られたのだが、私のほうがいろいろお聞きしてしまった。私はけっこう聞き上手なのです!いろいろお話を聞いたが、特に興味深かったのは、三嶋大社はなぜあそこにあるのかという問題(私にとってずっと謎だった)と、邪馬台国が機内にあるということだ。前者はまた別の時に書こうと思うので、今回は邪馬台国のことに触れよう。
 僕は高校生のころから邪馬台国問題に興味を持っていた。もともと古事記が好きだったし、考古学ボーイというわけではないが、考古学全般に好きだったからだ。学生時代に白崎先生のお宅に出入りするようになって、何冊かのご著書をいただいて読んだ。最初の1冊、『埋もれた王国』(大和書房、西暦1977年刊行)はとても興味深く読み進んだものだ。それに対して、邪馬台国九州説シンパだった僕にとって、畿内説をとる白崎先生の『東アジアの中の邪馬台国』は、詳細な論証をされているにもかからわらず、当時今ひとつ納得がいかなかった。
 それから四半世紀が過ぎて、研究が進展した。つい数年前までは九州説も命運を保っていたようだが、年輪年代学の成果と炭素14法によって、どちらも箸墓古墳が卑弥呼の年代と重なるのですよと、上記の渡辺さんに言われたので、う〜んとうなってしまった。年輪年代学のほうは知っていたが、炭素14法の結果は知らなかった。年代は重要である。もうひとつ、そういえば炭素14法研究の進展により、弥生時代の開始が500年ほどさかのぼって3000年ほど前ということになった。
 僕は高校生ぐらいのころから、なんとなく弥生時代の長さが短すぎるのではと感じていた。3000年前からはじまったとなると、1200年以上経過することになり、稲作が導入されるとともに大陸の政治システムが導入され、小さな国から大きな国にゆっくりと統合されてゆき、大和朝廷によって本州北部を除く本土4島が統一されるのに十分な時間があることになる。ということは、西暦3世紀中頃には、邪馬台国が大和の国にあってもいいことになるではないか。
 30年以上にわたって九州説シンパだった私だが、がぜん畿内説に傾いてしまった。そこで、帰省してひもといた本が『東アジアの中の邪馬台国』なのである。

斎藤成也

Saturday, December 20, 2008

オーストラリア北岸の町Darwinは ダーウィンにちなんだものだった!

科学紀元8年12月21日

 来年はダーウィン生誕200周年である。そこで、昔古本屋で買ったまま、読んでいなかった駒井卓先生著『ダーウィン傳』を手にとった。なんと昭和7年刊行。僕が購入したのも、21年前という古さ。4年の留学から帰国した翌年である。
おもしろい。さすが駒井先生。文章が上手。まあダーウィン自身が波瀾万丈の人生でおもしろいのだが。本書の112頁に、ビーグル号の船長、フリッツ・ロイがダーウィンの名前を3カ所の地名としたとあって、びっくり。ほんとかなあと思い、グーグル検索すると、誰の命名かはちょっと異なっていたが、たしかにオーストラリア北岸の町Darwinは、ダーウィンにちなんだものでした。僕はこれまで、ダーウィンという苗字が英国ではけっこうあって、たまたま別のダーウィンさんにちなんでこの町の名前になったのだとばかり思っていた。
 また南米のダーウィン山も、命名者は違うけれど、ダーウィン由来。もっとも、この山のまわりには、当時の著名な博物学者の名前をつけた山がたくさんあるそうだ。ダーウィン海峡は、まだ誰の命名かわかりません。場所も南米の南端らしいとしかわからず。

斎藤成也

Sunday, December 14, 2008

雑誌「科学」今月号の特集に少し書きました

科学紀元8年12月14日(日)

岩波書店から刊行されている雑誌科学の今月号の特集「ダーウィンは「人間」をどう考えたか」に、「遺伝子から見た人間進化」と題して書きました。現代進化論についても触れましたが、「進化の総合説は,1970年代における中立論との戦いに敗れて,現代進化論の中心から消えていった。それにもかかわらず,現在でもこの総合説,あるいは新ダーウィン主義が,あたかも今なお定説であるかのような主張が散見されるのは残念である。」と書いたので、一部には首を傾ける方もおられるでしょう。またこの文章の最後にはチンパンジーに登場してもらい、人間というけだものを馬鹿にしてもらいました。

雑誌メディカルバイオで連載 Sayer Says! が始まります

科学紀元8年12月14日(日)

オーム社が刊行している雑誌 Medical Bioで私の連載 Sayer Says!がはじまります。もう校正が終わったので、来月号だと思いますが。第1回は、「研究で使う言語」についてです。乞うご期待! 敬愛する和田昭允先生のコラムの後ということで、あのように格調高いものは書けませんが、なんとかがんばります。

Saturday, December 13, 2008

人種に関する国際シンポジウムを聴講して

科学紀元8年12月6日(日)

京都大学時計台で開催された標記シンポジウムを学生二人と聴講しました。
翌日開かれた専門家会議にも顔を出し、いろいろな話し合いのあとで、前日の講演者のひとりである川島浩平さん(武蔵大学)に、1968年のメキシコオリンピックでのある事件の顛末をお聞きしました。
 それは、男子100m走の表彰式で、金メダルと銀(あるいは銅)メダルを得た二人の米国黒人選手が、米国国歌が流れて星条旗が掲揚されつつあるまさにそのときに、拳をつきたてたことです。当時僕は中学1年生でした。4年前の東京オリンピックの時にはまだ小学生で、単純に日本で開催されたこのスポーツ大会をすごいなあと思っていました。
しかし、この二人の選手の行動をTVで見た瞬間、尊敬の念を覚えました。
スポーツで勝ち取った栄誉は個人のものであり、国家のものではないはずです。彼らがそう思ってあの行為をしたのかどうかは知りませんが、私はそう理解しました。あの映像によって、オリンピックが国家間の疑似戦争という形で政治に利用されている構造がわかりました。現在でも時々オリンピックの試合を見ることがありますが、そこにひそむこの問題点をいつも感じています。
 川島さんによれば、彼らはあの行動のあと直ちに米国につれもどされ、スポーツ界から追放されたそうですが、1990年以降は再評価されるようになったそうです。しかし私は思います。1968年当時、私のようにただちに彼らを尊敬した人間が、世界中でたくさんいたであろうと。

日本アンデス調査50周年記念シンポジウム

科学紀元8年12月13日

有楽町のよみうりホール(なんとビックカメラ店の中を通る必要がありました)で開催された標記シンポジウムを聴講しました。用事があり、残念ながら途中から聞きましたが、座談会は全部聞くことができました。
大学の教養課程のときに聴講した人類学の講義で、故寺田和夫先生がアンデス調査のことを話されていたことを思い出します。以前、大貫良夫先生に、黄金の品々が発見された遺跡を、いかに地元の人々が誇りに思い、大事にしたのかということをお聞きしたことを思い出しました。なんとなくじ〜んとしてきます。
 子供のころからインカ帝国の話が大好きだった僕としては、インカ以前のアンデス文明の曙の話、一度ゆっくりなにかの本で読んでみたいなと思ったりしました。