Sayer Says in Japanese

Thursday, October 06, 2011

Steve Jobs 死去

科学紀元11年10月6日

今、ヒューストンのTexas Medical Center横のFannin Streetに面した建物の1階にあるStarbucksにいます。無料WiFiサービスを見つけて、さきほどEconomics誌に掲載されたSteve Jobs氏の評伝を読んでいました。
Steve Jobs氏の死去を知ったのは、昨日、ヒューストン留学以来の友人であるDan Graur氏と彼の奥さんと一緒に、昔なつかしいバーベキューの店に行って帰って来るときでした。長年のMacintoshファンとして、ショックでした。今も、MacBookAirを愛用しています。このブログもMacBookAirを使って書いています。
 昔、彼がNeXT Computerを作ったときに、わざわざ彼の講演を東京まで聴きにいったことがあります。本人が来たのではなく、放映だったと思いますが。
 彼をダヴィンチやエジソンになぞらえる人がいましたが、T型フォードを作って自動車を社会に広めたHenry Fordになぞらえた人が、一番正鵠を得ているような気がしました。

斎藤成也

Monday, October 03, 2011

足羽三山文化協議会 第7回講演会

科学紀元11年10月3日

現在、アメリカ現地時間で午前4時ですが、日本では午後5時。時差ぼけで眠れないので、またブログを更新します。

講演会のお知らせです。

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足羽三山文化協議会 第7回講演会

生誕100年を迎える瑛九の活動と福井
日時 11年10月15日(土)午後4時半~6時
場所 福井市おさごえ民家園 旧城地家(下記地図を参照ください)
講師 谷口等(画家)
定員 50名(入場無料)

講師 谷口等氏のご紹介
57才まで小学校の美術教師をしながら、児童美術を研究。らっきょう畑のモチーフをはじめとする油画作品を多数制作し、個展も7回開催。瑛九に何度か会い、瑛九作品のコレクターとしても知られています。

足羽三山文化協議会とは:
原子光生(10年1月逝去)は40年ほど前,福井市八幡山のふもとに時雨窯を開設し,陶芸を中心とした文化活動を行なってきました。この時雨窯の活動を拡大する形として,原子光生を顧問として本協議会を09年に設立しました。現在の協議会主要メンバーは,尾野和之,岩堀善広,今村真人,佐々木閑,小原裕一,三澤利博,斎藤文子,佐々木日嘉里,斎藤成也です。
 講演会への参加を希望される方は,ご自由にいらしてください。
足羽三山文化協議会事務局連絡先: saitou.naruya@gmail.com
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斎藤成也

デトロイトでの日曜日のBranch

科学紀元11年10月3日

 さきほどに続いて、デトロイトのことです。ホテルに1泊して、時差ぼけもあってか、現地時間の朝9:30,日本時間だと夜10:30ごろに目が覚めました。前日はチェックインしてから、下着などを洗濯後、すぐ眠ってしまって、夕食を食べませんでした。でも、昨日の昼、シカゴ空港でしっかりハンバーガーを食べたのであまりおなかがすいてなくて、朝と昼を一緒に食べようと考えました。Branchです。11時少し前にホテルを出て、ぶらぶら。ダウンタウンの中心なので、レストランがきっとあるだろうと、いきあたりばったりです。ホテルを出てすぐに、いくつか見つかりました。でもなぜかギリシャ風。ジョークでしょうが、「ギリシャ人以外駐車禁止」なんていう看板も見つけました。どうやらこの通りはギリシャ人街のようです。そういえば、私が泊まっているホテルの名前も、Atheneumという発音しにくいものですが、おそらくアテネにちなんだ名前なのでしょう。
 いろいろ迷って、結局混んでいるある小さな店に入りました。メニューがよくわからなくて、ギリシャ風でと、シシカバブおよびコーヒーを注文。うっかり日本風に「Hot Coffee」と言ってしまいました。アメリカにはまずアイスコーヒーは存在しないので、コーヒーと言えばホットなのです。日本だと、逆に「コーヒー」とだけ言うと、ホットですか、アイスですか、としつこく聞かれますから。
 そうこうするうちに、私が入ってきたときには、まだ十数席の空きがあったのに、なんと14名の団体さんが入ってきました。おかげで私もコーヒーと水とともに、4人がけのテーブルから2人がけのテーブルに移動してほしいと店のおにいさんに頼まれて、隣に移動。14人の団体さんのひとりである年配の女性から、「すみませんね」と言われました。その後も、6人の団体が来て、満席なので立ち去ったり、一度来て、満席っぽいので立ち去ったと思ったら、10分ほどあとにまた同じ黒人男性が来て、今度は奥に座れました。
 それにしても、ウェイターとウェイトレスが全部で4〜5人いるのですが、みんな座っているお客さんの世話で忙しくて、入って来た新しい客にまったく反応しないのには、やや驚きました。まあ、客のほうもそれがあたりまえという感じだったようですが。シシカバブはサラダと味付けインディカライスがついていて、まあまあでした。全部で、テーブルにおいたチップ2ドルを含めても、15ドル少々。安かったです。でも、30年前の15ドルは、日本円で4000円余でした。いまではそれが1200円程度です。日本円も強くなったものです。
 ギリシャ人街の店に入ったので、最初は実は客の全員がギリシャ系かもと思いましたが、黒人もいたし、そうではなさそうです。日曜日なので、教会の礼拝帰りの人達なのかもしれません。いずれにせよ、のべ50名ほどの客のなかで、東ユーラシア人は私だけでした。いいチョイスだったなと思いつつ、店を出ました。

アメリカの民度の低さ

科学紀元11年10月3日

 一昨日から米国のデトロイトに来ています。昨年11月に逝去したMolecular Phylogenetics and EvolutionのFounding Editor, Morris Goodman博士を記念したシンポジウムに参加するためです。成田空港からシカゴ空港を経てやってきたのですが、いろいろとトラブルに見舞われました。まずはささいなことから。
 現地時間の朝8時ごろにシカゴ空港に到着し、5時間ほど次のフライトを待ちました。最初カフェテリアでコーヒーだけ頼んで、1時間ほどテーブルで愛用のMacAirで仕事をしていたのですが、小さなテーブルの向こう側に人が座ったので、なんとなく気まずくなり、時間的にも午前11時を過ぎたので、昼食をと思い、空港内の別のカフェテリアへ。そこであるハンバーガーを注文しました。とても分厚くて、けっこうおいしかったのですが、請求書を見たら、私の注文したのではなく、エルビスバーガーとありました。チップを置いてゆくときに、注文とは別のものが来たよと、ウェイターの叔父さんに文句を言って立ち去りました。
 まあこれはたいしたことはありません。おいしかったから。次はからだにこたえました。ターミナルとターミナルのあいだを小走りしましたから。シカゴ空港に着いて、スーツケースをあずけた時にターミナル2へ行けと言われ、ターミナル間をつなぐ電車でターミナル2へ。電光掲示板で乗り継ぎ便のゲートを確認したら、たしかにターミナル2のF11ゲートとあったので、出発1時間まえになったらそこに行きました。ところが、搭乗予定時刻の10分前になっても、デトロイト行きの表示が出ません。そこでカウンターの人に聞いたら、いや、ここではなく、B14だとのこと。しかもターミナル1!急ぎなさいと言われ、あわてて小走りでおよそ15分。疲れました。ここでも、搭乗する時に、ユナイテッド航空の職員に「最初の表示はF11でしたよ」と捨て台詞。
 三度目は、デトロイト空港で。預けたスーツケースを受け取るために、Baggage Claimに行って、自分の乗った飛行機の荷物がどこの回転台に来るのかを確認して、20分ほど待っていました。ところが、み〜んな出てきて回転台はからになり、残っているのは、私だけ。不安になって、もう一度電光掲示板を確認しましたが、やはり回転台2となっています。係員がどこにいるのかわからないので、とにかく別の回転台を探そうと、ちらっと隣の回転台3を見たら、ラッキーなことに自分のスーツケースを発見しました。
 こんな具合で、表示が信用できないのです。そういえば、2年前にSMBE会議で米国のアイオワに行った時に、シカゴに1泊しましたが、空港近くのホテルにもどろうと、ダウンタウンから乗った電車も、ショッキングな表示の間違いがありました。プラットフォームの表示にしたがって、ある側に来るはずの電車を待っていたら、その側に来たのは、空港とは反対方向の地名が先頭に着いている車両でした。どちらの表示が正しいのかわからなくて、ドアがあいたらすぐに中の乗客に聞いたら、空港と反対側にゆく車両でした。結局、同じ側にあとで電車が逆方向から来ました。こんなようでは、上海の地下鉄事故のようなことも、米国ではおこるかもしれません。
 全体的に見て、米国の民度が低いなあと感じた今回のデトロイト行きでした。

斎藤成也