人生は笑いとばすもの
科学紀元9年11月30日(月)午前1時すぎ
今年末に刊行予定の『自然淘汰論から中立進化論へ〜進化学のパラダイム転換〜』(NTT出版)の本文の最終行は、「人生は笑いとばすものだと。」という一文で終わっている。なぜこう締めくくったのかは、この本を読んでみてほしいが、この言葉は、2006年に出身高校(福井県立藤島高校)のPTA通信から頼まれて書いた以下の文章(45号、15-16頁)を念頭に置いたものなのです。まあ、こんな文章を堂々と掲載してくれたPTAの方々には、頭が下がります。もっとも、僕は大まじめで、僕のような高校生がきっと今でもいるだろうから、そんな高校生に読んでほしくて書いたのです。ちなみに、今年末に出るこの本の表紙カバーには、僕が父親との親子展のために描いた作品「アルデバラン」が使われているのです。ふふふ。
なお、以下の文章は僕の家族にもしっかり読んでもらいましたが、三人(妻と子供ふたり)とも、「ふふん」という感じで、鼻で笑っていました。恐るべし、我が家?!
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人生は笑いとばすもの
斎藤成也(国立遺伝学研究所)
中学の卒業アルバムを作った時のことだ。一人一人が自由にポーズをとっていい個人別コーナーがあった。僕は当時すでに素朴なニヒリズムに傾倒していたので、精一杯うつろな顔をして撮られた。今見ても、あのときの写真は気に入っている。
こんなネクラ(奥底は暗いのに表面的には明るく振る舞っている人間)なやつが、よくも今までのんびりと生きてきたもんだなあと思う。中学時代以来、高校3年間はもとより、ずっと今日まで虚無主義者である。
この種の人間にとってみれば、人生などなんの価値もない。そうわかってはいるもの、とりあえず楽しんでゆこうということになる。知的世界をもっと冒険してみたいという素直な好奇心は、幼少時代から続いていた。大学、大学院、留学を経て、現在研究を続けているのもその延長であり、まあ惰性のようなものだ。
高校時代は思春期まっただなかで、それなりの恋心もあった。でも子供のころからSF好きだった僕は、地球上には自分にふさわしい異性は本当にはいないんだ、異星のどこか、たとえばアルデバラン星系の惑星に住む、巨大なムカデの女王が僕にふさわしいんじゃないかな、と思ったりしていたのである。
高校生のある日、母親から般若心経の解説本を読めと渡された。福井は仏教王国であり、親世代には浄土三部経を暗記している人が多かった。そういう分野の知識のまったくない僕を見て、簡単なものを見せたつもりらしい。般若心経はおもしろかった。な〜んだ、仏教ってニヒリズムじゃないか、とわかったからだ。ところが、高校の図書館から別の本を借りてきてもっと仏教について学ぼうとしたら、今度は両親から止められた。宗教に走るのをおそれたのだろう。結局僕はおとなしく従ったが、それも大学入学までだった。
幼少の時から活字好きなので、大学に入ったら好きな本をどんどん読んだ。仏教は虚無主義者の僕に合っていて、維摩経や大涅槃経がおもしろかったし、ミリンダ王の問いもよかった。お釈迦さんの肉声に近いと言われているスッタニパータは特に気に入った。そんなこんなで、大学を卒業したら出家してみたいなあとぼんやり思っていた。ましてや結婚するなど考えてもいなかった。
結局、例によって惰性で、というか僕の中にひそむ別の指向性が研究を選んでしまい、日本という国があまり好きではない(今でもそうである)こともありさっさと米国に留学した。留学しようと思ったところでひよってしまい、外国でひとりだとさみしいなと考え、結婚してしまった。あとは野となれ山となれで、帰国後には子供もできてしまった。留学先ではがちがちのキリスト教徒である日曜学校の先生に出会い、新約聖書を中心に、キリストというすばらしい人間の事績を学ぶことができた。奇跡を重視する考えにはついてゆけなかったけれど。
学生時代以来ずっと、人間を中心とする生物の進化を研究している。進化は歴史であり、人間の歴史を知ることが個人的に好きだったこともあるだろうが、進化は大多数の宗教が否定する概念であることも、ニヒリストの僕に合っていたのかもしれない。生命だけでなく宇宙全体も、百数十億年という悠久の時の流れの中で進化している。ということで、宇宙全体に比べれば塵芥のような存在である自分だから、その人生なんて、笑いとばせばいいと思っているのです。
(1975年卒業、科学者)
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今年末に刊行予定の『自然淘汰論から中立進化論へ〜進化学のパラダイム転換〜』(NTT出版)の本文の最終行は、「人生は笑いとばすものだと。」という一文で終わっている。なぜこう締めくくったのかは、この本を読んでみてほしいが、この言葉は、2006年に出身高校(福井県立藤島高校)のPTA通信から頼まれて書いた以下の文章(45号、15-16頁)を念頭に置いたものなのです。まあ、こんな文章を堂々と掲載してくれたPTAの方々には、頭が下がります。もっとも、僕は大まじめで、僕のような高校生がきっと今でもいるだろうから、そんな高校生に読んでほしくて書いたのです。ちなみに、今年末に出るこの本の表紙カバーには、僕が父親との親子展のために描いた作品「アルデバラン」が使われているのです。ふふふ。
なお、以下の文章は僕の家族にもしっかり読んでもらいましたが、三人(妻と子供ふたり)とも、「ふふん」という感じで、鼻で笑っていました。恐るべし、我が家?!
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人生は笑いとばすもの
斎藤成也(国立遺伝学研究所)
中学の卒業アルバムを作った時のことだ。一人一人が自由にポーズをとっていい個人別コーナーがあった。僕は当時すでに素朴なニヒリズムに傾倒していたので、精一杯うつろな顔をして撮られた。今見ても、あのときの写真は気に入っている。
こんなネクラ(奥底は暗いのに表面的には明るく振る舞っている人間)なやつが、よくも今までのんびりと生きてきたもんだなあと思う。中学時代以来、高校3年間はもとより、ずっと今日まで虚無主義者である。
この種の人間にとってみれば、人生などなんの価値もない。そうわかってはいるもの、とりあえず楽しんでゆこうということになる。知的世界をもっと冒険してみたいという素直な好奇心は、幼少時代から続いていた。大学、大学院、留学を経て、現在研究を続けているのもその延長であり、まあ惰性のようなものだ。
高校時代は思春期まっただなかで、それなりの恋心もあった。でも子供のころからSF好きだった僕は、地球上には自分にふさわしい異性は本当にはいないんだ、異星のどこか、たとえばアルデバラン星系の惑星に住む、巨大なムカデの女王が僕にふさわしいんじゃないかな、と思ったりしていたのである。
高校生のある日、母親から般若心経の解説本を読めと渡された。福井は仏教王国であり、親世代には浄土三部経を暗記している人が多かった。そういう分野の知識のまったくない僕を見て、簡単なものを見せたつもりらしい。般若心経はおもしろかった。な〜んだ、仏教ってニヒリズムじゃないか、とわかったからだ。ところが、高校の図書館から別の本を借りてきてもっと仏教について学ぼうとしたら、今度は両親から止められた。宗教に走るのをおそれたのだろう。結局僕はおとなしく従ったが、それも大学入学までだった。
幼少の時から活字好きなので、大学に入ったら好きな本をどんどん読んだ。仏教は虚無主義者の僕に合っていて、維摩経や大涅槃経がおもしろかったし、ミリンダ王の問いもよかった。お釈迦さんの肉声に近いと言われているスッタニパータは特に気に入った。そんなこんなで、大学を卒業したら出家してみたいなあとぼんやり思っていた。ましてや結婚するなど考えてもいなかった。
結局、例によって惰性で、というか僕の中にひそむ別の指向性が研究を選んでしまい、日本という国があまり好きではない(今でもそうである)こともありさっさと米国に留学した。留学しようと思ったところでひよってしまい、外国でひとりだとさみしいなと考え、結婚してしまった。あとは野となれ山となれで、帰国後には子供もできてしまった。留学先ではがちがちのキリスト教徒である日曜学校の先生に出会い、新約聖書を中心に、キリストというすばらしい人間の事績を学ぶことができた。奇跡を重視する考えにはついてゆけなかったけれど。
学生時代以来ずっと、人間を中心とする生物の進化を研究している。進化は歴史であり、人間の歴史を知ることが個人的に好きだったこともあるだろうが、進化は大多数の宗教が否定する概念であることも、ニヒリストの僕に合っていたのかもしれない。生命だけでなく宇宙全体も、百数十億年という悠久の時の流れの中で進化している。ということで、宇宙全体に比べれば塵芥のような存在である自分だから、その人生なんて、笑いとばせばいいと思っているのです。
(1975年卒業、科学者)
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