Sayer Says in Japanese

Friday, June 03, 2011

自然に還れ

科学紀元11年6月4日(土)

 中学生のころから、「自然に還れ」という合い言葉(ジャン・ジャック・ルソーの言葉らしいが、まあ誰でも思いつくだろう)が好きだった。中学1年か2年のときには、福井の自宅の目の前にある足羽山に当時新設されたリフト(今は幸いなことに撤去されてない)が、環境破壊の象徴だとした短文を国語の時間の宿題か夏休みの宿題で書いたものだ。足羽山を、「イワンの馬鹿」に出てくる鯨になぞらえて、肌を切り刻まれた山の運命を悲しんだ。もっとも、大学生の時には、ちゃっかりこのリフトを使ってみたことがあったが。
 中学3年生の夏に富山で開催された北陸三県附属中学合同大会では、福井大学附属中学校の代表として、「自然に還ろう」という演説をぶったものだ。高校3年の時にも、文化祭のテーマが募集された時、やはり「自然に還れ」で応募したが、別のもの(忘れてしまった)が採択された。「Let's Begin」という意味不明のスローガンの応募もあったが、英語の先生に、英語としておかしいと指摘されていたっけ。
 大学に入ってから、環境重視の生態学もいいなあと思い、当時教養学部におられた倉石晋先生の生態学ゼミに参加した。日光の植物園分園にも行き、ヒノキとアスナロの違いなどを勉強した記憶がある。でも結局生態学には今ひとつの魅力が感じられず、ずるずると進化学や遺伝学のほうに引きづられていったのである。当時翻訳が出ていたオダムの生態学の教科書を買って勉強しようかどうかとかなり悩んだが(分厚いので、専門分野を決定していなかった学部学生にとっては高かったのだ)、結局買わなかった。
 自然に還るという概念の中で最大の皮肉は、我々人類の存在そのものが、人類以外の自然にとって厄災であることだ。自然保護を声高く訴える人は、そのことを知りつつ、あるいは知らないで?、結局人間が自然をコントロールしようとしているだけである。人間も自然の一部と考えなければならない。
 今週の水曜日に、駒場で学術俯瞰講義に出た。深津武馬さんとの対談形式だったが、その中で僕は、百万年くらいあとに、この地球上から人間以外のすべての動植物、バクテリアが消滅して、人間だけになったらどうなるでしょうねという問いかけをした。あまりに唐突なので、対談は深まらなかったが、思考実験として考えてみる価値はあると思う。小学生時代に熱心にみていたテレビシリーズ、「タイムトンネル」のある回に、百万年後の時代に跳んだ主人公二人が、未来人と会ったという設定があった。そのとき、バクテリアは知らないが、人間以外のすべての動植物は絶滅しているという設定だった。僕は小さいときからSFが好きなので、このような設定を考えるのが好きなのです。

斎藤成也

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