Sayer Says in Japanese

Wednesday, February 14, 2007

楢山節考

科学紀元7年2月15日午前1時すぎ
 しばらくこのブログへの書き込みをごぶさたしていたので、今夜は一気にいろいろ書いている。以下は、昨年の9月にメキシコに行った際に書いたものを、ブログに出そうと思っていて忘れていたのを思い出したのである。
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 メキシコに12日間、調査で行ってました。帰りの飛行機の中で、読もうと思っていた作品、深沢七郎の『楢山節考』を読みました。これを原作とした映画は昔見たことがあって、筋は知っていたけれど、最近知り合いの人に『君の発言を聞いていると、深沢七郎と通じるところがあるから、読んでごらん』と言われたので、長旅の友に、新潮文庫の『楢山節考』を持ってきたのです。よかった。涙が少し出ちゃったけど、ニヒリストの深沢ここにあり、という感じだった。
 数年前に米国のある研究所に会議で行ったとき、帰りの飛行機の関係で、ほかの人は帰ったのに、僕だけもう1泊することになった。そこで、会議の食事の世話などをする人々の中で主(ぬし)みたいなふとっちょの黒人のおばさんが、僕を夕食に連れて行ってくれた。彼女の車に乗って、ちょっとしたデートだったのです。僕がアジア人だったからなのかどうか、中華料理のバイキングの店に連れて行かれた。そこでいろんな話を聞いた。DNAの二重螺旋構造を提唱したワトソン博士が彼女を面接して、即採用されたということ。彼女にとって、とても名誉でうれしいことだったのだろう。でも僕にとって最も興味深かったのは、自分が年を取って、歩けなくなったら、病院の世話になんかならない、すぐ死ぬよ、と言い放った言葉。僕が外国人だからだったかもしれない。あるいは、なかなかおもしろいおばさんだったので、口癖だったのかもしれない。今にして思うと、現代版のおりん(『楢山節考』の主人公のおばあさん)だなあと思う。
 僕は、死ぬときには太平洋のど真ん中に浮かぶ、自分で作った1平方kmの浮島でと思っている。僕にかしずくたくさんの介護ロボットに囲まれて死んでゆくのだ。そのときまだ生き残っている知り合いとは、ヴァーチャル映像で別れを告げる。彼女はそのときまだ生きているだろうか。それとも僕のほうがずっと前にころっといっているんだろうか。
 飽食の時代と言われて久しい。でも、世の中がなんやかんやと号外が出たりして浮かれている時にも、ホームレスでころんと逝っている人もいるんだろうなと思ったりするんだな。楢山はナラ林帯にあったある村の話だ。一昔前に一世を風靡した「照葉樹林文化」は、縄文時代にはふさわしくないことがわかった。あの時代はむしろナラ林帯だったのだ。楢山節考は、そういう意味で、縄文時代からの伝統を引いているのかもしれないな、と思うと、ちょっと楽しくなる。

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