Sayer Says in Japanese

Tuesday, November 14, 2006

高校の社会科の授業

日本のあちこちの高校で社会科のうち世界史を履修していない生徒が続出している問題で、自身の高校時代を思い出していた。僕は1970年代前半に高校生活を送ったのだが、高校1年時は、地理を学んだ。教頭先生が僕らのクラスの担当だった。大部分の生徒は興味がなく寝ている生徒もいたが、僕は子供のころから地理が好きだったので、前のほうで先生の話を楽しく聞いていた。株式会社(KK;スラウェシ島とハルマヘラ島の形がどちらもアルファベットのKに似ていることから)や「メセタのメリノ」(スペインの羊産業)など、いろいろな言い回しで世界の地理を勉強した。2年生になったら、世界史がはじまった。地理よりもこっちのほうがもっとおもしろい。小学6年生のときに、新聞の全面広告に出ていたクロマニヨン人の姿がとても気に入って、第1巻「人類の誕生」からはじまる世界史シリーズ(たしか河出書房だった?)を父親にせがんで全巻買ってもらった。中学時代は少しむずかしかったが、全部読んだ。高校時代になって世界史の授業がはじまったのでこれらを読み直したら、今度はすらすらわかる。授業内容よりも高度なので、授業はどちらかというと簡単だった。高校2年生のときには、倫理社会もあった。先生がひどいもので、自虐的といおうか、「内職をしてもいいからね」と言うのだ。たしかにつまらない内容だったが、それでも、トマス・アクイナスなどの名前を知ることになった。後年、彼がフランスのツールーズに眠っていることを知ったとき、名前を知っててよかったと思った。まだあまり詳しく彼の業績にふれたことがないのだが。高校3年になると、理科系のクラスだったので、世界史を続けるか、日本史に切り替えるかという選択があった。僕は小さな日本列島の中でちまちました日本史よりも世界全体でくりひろげられる世界史が圧倒的に好きだったので、世界史を続けたが、こりごりの連中は日本史に移った。クラスの半分以上は逃げたようだ。でも彼らは世界史を中世ごろまで高校2年でやってそれっきりなのである。変なの。当時から世界史は受験校に嫌われていたのだろうか?で、世界史を続けて履修した僕らは、日本史は簡易版の教科書で学んだのである。これらのほかに、さらに政治経済のクラスがあった。担当の斎藤先生(たまたま苗字が一致していただけ)が、なぜか僕を気に入ってしまい、副読本の一節を教壇に立ってよまされたりした。世界史は古ければ古いほうが好きな僕は、後半の近代から現代にかけての話は今ひとつかったるかった。結局それが大学で人類の誕生もあつかう人類学に進むベクトルになっていったのだろう。

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